問題。そして考えること。
2004年9月10日こんばんは、合唱コンクールでソプラノを歌います、小マユです。
小マユは音程をとるのが得意なのでここのところずっとアルトでしたが、久しぶりにソプラノを歌ってみたところ、以外と高い声が出たので、ソプラノに決めました。
ええのぅ、ソプラノ。
メロディーラインを声色高く歌い上げるのがええです。
好きです、ソプラノ。
…好きです、フラボノ。(違)
さて、今日の5時間目の聖書の授業で環境問題についての資料を読んで、感想を出し合いました。
題材には森林伐採、動物実験、生物の絶滅についてなどがあげられました。
さすが中3、オトナな意見も多数聞かれました。
動物実験において、化粧品が目にどんな影響を及ぼすかを調べるために、ウサギの目を使うそうです。
目が見えなくなったウサギは実験後、人間に殺されます。
ウサギが可哀相だって、なぜ思わないんでしょう?
そんな動物実験がいけないということなら、幼稚園児だってわかるでしょう。
それがわからずに実験をするオトナは馬鹿です。
人間は殺しちゃいけないけど、ウサギは殺していい?
んなわけねーだろ。
一部のオトナは『最近の若者は』と言って、わたしたち子供になんくせをつけます。
でも小マユは、そんなことを言うオトナに限って、行動面においておかしい部分があると思います。
バスの席の真ん中にどっかりと座り込み、つめて座ろうとしない。
電車でとなりの人とくっつくのが嫌でわずかなすき間を開けて座り、座席に座りたい人を立たせてしまっている。
どれも、”最近の若者”によく見られると同時に、オトナにも見られる行動だと言えると思います。
小マユは帰宅時などにときどき、「こういうオトナたちを見て育てば、そりゃあ礼儀正しくない若者になるよなぁ」と思ったりします。
小マユの最寄り駅のスーパーのカートの話をします。
小マユの最寄り駅のバス停のすぐ近くには、スーパーがあります。
重い荷物を持ったおばさんたちは、カートに荷物を入れてバス停まで運んできて、バスが来るとカートを置きっぱなしにして帰ってしまいます。
考えてみてください、カートはほっておけばひとりでにカート置場に戻っていきますか?
そんなはずはないでしょう。
じゃあ、誰が置き去りにされた孤独なカートを群れに返してやるのですか?
たいがいの場合、その答えはスーパーの店員さんです。
カートを放置したおばさんはきっと、当然のごとくこう言うでしょう。
「お金もらってるんだから、そのぐらいしなさいよ。それだって仕事のうちでしょう」。
小マユはおばさんに質問します。
でも、カートを利用したお客さん全員がカートをバス停に置きっぱなしにしたら?
自分が店員なら、どうしますか?
お客さん全員分のカートを動かすなんて、いくらお給料をもらっていても、重労働すぎてわりきれません。
おばさんには、荷物が重くてカートを使いたいと感じる人は自分だけではないことを知って、自分だけならいいやという考え方は間違っていることに気がついて欲しいのです。
小マユは何度か、置き去りにされたカートをカート置場に戻したことがあります。
周りのオトナは、見て見ぬふり。
子供が大人に見本を見せてどうするんでしょう。
もちろん、上にあげたような行動をすべての大人が行っているなんてことは言いません。
でも、もし自分の行動を思い返して少しでもあてはまりそうなことがあれば考えて欲しいし、当てはまらなくても安心せず、もっと問題をしっかり考えて欲しいです。
小マユはよく、色々なことについて考えます。
自分の意見、可能性、事実、これら全部を取り混ぜて、自分の中での真実を突き止めていくのです。
大人の人は”物事についてしっかり考える”ということをしているんでしょうか?
小マユには、なかなかそうは思えません。
もちろんそういう人もいるでしょうが、”考えること”が”当り前”でなくなっていると小マユは感じるのです。
みんながもっと考えていれば、小マユが上にあげたような行動は多かれ少なかれ減ると思います。
考えるためには、問題を正面から見つめて受け止め、直視する必要があります。
そのことによってつらい思いをしたりすることがあるから考えることをやめてしまった人もいるのかも知れませんが、事実と向き合うことは大切です。
どんなにくだらないことでも、疑問に思ったことや問題であると思ったことは考えるほうがいいと思います。
小マユは、たとえ考えたことで涙が出そうになっても、頭が痛くなっても、考えるのをやめません。
考えるのに疲れたら、空を見上げて自分を癒してからまた考え始めます。
今日はなにやら偉そうに語ってみました。
しかし、小マユだって善人じゃありません。
ゴミのポイ捨てを見て見ぬふりしてしまったり、知らず知らずのうちに人に迷惑をかけてしまったりもします。
でも、本当に大切なことはそういう自分のしたことにちゃんと目を向け、周りの人たちのこともよーく考えて自分が次からどうすればいいのか導き出すことだと思います。
みなさんも、こんなことをほざいてる中3がいることを忘れないでやってください。
では、おやすみなさい。
世界史で出てきた”株”の正しい意味がわからず、四方八方近い席の人々に聞きまくっていた、世間知らずの小マユでした。
小マユは音程をとるのが得意なのでここのところずっとアルトでしたが、久しぶりにソプラノを歌ってみたところ、以外と高い声が出たので、ソプラノに決めました。
ええのぅ、ソプラノ。
メロディーラインを声色高く歌い上げるのがええです。
好きです、ソプラノ。
…好きです、フラボノ。(違)
さて、今日の5時間目の聖書の授業で環境問題についての資料を読んで、感想を出し合いました。
題材には森林伐採、動物実験、生物の絶滅についてなどがあげられました。
さすが中3、オトナな意見も多数聞かれました。
動物実験において、化粧品が目にどんな影響を及ぼすかを調べるために、ウサギの目を使うそうです。
目が見えなくなったウサギは実験後、人間に殺されます。
ウサギが可哀相だって、なぜ思わないんでしょう?
そんな動物実験がいけないということなら、幼稚園児だってわかるでしょう。
それがわからずに実験をするオトナは馬鹿です。
人間は殺しちゃいけないけど、ウサギは殺していい?
んなわけねーだろ。
一部のオトナは『最近の若者は』と言って、わたしたち子供になんくせをつけます。
でも小マユは、そんなことを言うオトナに限って、行動面においておかしい部分があると思います。
バスの席の真ん中にどっかりと座り込み、つめて座ろうとしない。
電車でとなりの人とくっつくのが嫌でわずかなすき間を開けて座り、座席に座りたい人を立たせてしまっている。
どれも、”最近の若者”によく見られると同時に、オトナにも見られる行動だと言えると思います。
小マユは帰宅時などにときどき、「こういうオトナたちを見て育てば、そりゃあ礼儀正しくない若者になるよなぁ」と思ったりします。
小マユの最寄り駅のスーパーのカートの話をします。
小マユの最寄り駅のバス停のすぐ近くには、スーパーがあります。
重い荷物を持ったおばさんたちは、カートに荷物を入れてバス停まで運んできて、バスが来るとカートを置きっぱなしにして帰ってしまいます。
考えてみてください、カートはほっておけばひとりでにカート置場に戻っていきますか?
そんなはずはないでしょう。
じゃあ、誰が置き去りにされた孤独なカートを群れに返してやるのですか?
たいがいの場合、その答えはスーパーの店員さんです。
カートを放置したおばさんはきっと、当然のごとくこう言うでしょう。
「お金もらってるんだから、そのぐらいしなさいよ。それだって仕事のうちでしょう」。
小マユはおばさんに質問します。
でも、カートを利用したお客さん全員がカートをバス停に置きっぱなしにしたら?
自分が店員なら、どうしますか?
お客さん全員分のカートを動かすなんて、いくらお給料をもらっていても、重労働すぎてわりきれません。
おばさんには、荷物が重くてカートを使いたいと感じる人は自分だけではないことを知って、自分だけならいいやという考え方は間違っていることに気がついて欲しいのです。
小マユは何度か、置き去りにされたカートをカート置場に戻したことがあります。
周りのオトナは、見て見ぬふり。
子供が大人に見本を見せてどうするんでしょう。
もちろん、上にあげたような行動をすべての大人が行っているなんてことは言いません。
でも、もし自分の行動を思い返して少しでもあてはまりそうなことがあれば考えて欲しいし、当てはまらなくても安心せず、もっと問題をしっかり考えて欲しいです。
小マユはよく、色々なことについて考えます。
自分の意見、可能性、事実、これら全部を取り混ぜて、自分の中での真実を突き止めていくのです。
大人の人は”物事についてしっかり考える”ということをしているんでしょうか?
小マユには、なかなかそうは思えません。
もちろんそういう人もいるでしょうが、”考えること”が”当り前”でなくなっていると小マユは感じるのです。
みんながもっと考えていれば、小マユが上にあげたような行動は多かれ少なかれ減ると思います。
考えるためには、問題を正面から見つめて受け止め、直視する必要があります。
そのことによってつらい思いをしたりすることがあるから考えることをやめてしまった人もいるのかも知れませんが、事実と向き合うことは大切です。
どんなにくだらないことでも、疑問に思ったことや問題であると思ったことは考えるほうがいいと思います。
小マユは、たとえ考えたことで涙が出そうになっても、頭が痛くなっても、考えるのをやめません。
考えるのに疲れたら、空を見上げて自分を癒してからまた考え始めます。
今日はなにやら偉そうに語ってみました。
しかし、小マユだって善人じゃありません。
ゴミのポイ捨てを見て見ぬふりしてしまったり、知らず知らずのうちに人に迷惑をかけてしまったりもします。
でも、本当に大切なことはそういう自分のしたことにちゃんと目を向け、周りの人たちのこともよーく考えて自分が次からどうすればいいのか導き出すことだと思います。
みなさんも、こんなことをほざいてる中3がいることを忘れないでやってください。
では、おやすみなさい。
世界史で出てきた”株”の正しい意味がわからず、四方八方近い席の人々に聞きまくっていた、世間知らずの小マユでした。
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