友だち。幸せ。愛。
2005年6月14日こんばんは。
気楽な小マユです。
最近自分がいろいろ背負い過ぎてる気がしたので、一回全部ほうり出してみました。
楽です、すごく。
これなら今まで背負い込んでたもん、全部少しずつ溶かしていけそうです。
こんな自分ともう一度会えたのは、友だちと家族のおかげです。
いろいろな本のことばに励まされ、家族の応援に励まされ、友だちの暖かさに励まされました。
でなきゃここに小マユはいません。
幸せってのは自分がそれをなくさないと見えてこない。
自分が幸せ持っているときに街を歩いていても、大して幸せなんて感じないものです。
それを失ったときに街を歩いてみると、みんな多少の幸せは持っているわけです。
それを見てると、自分もついこないだまで持ってたよな…としみじみ思います。
どこに落としてきたんだろ、とか。
でも実際は持ってるんですよねーたぶん。
自分がつらそうにしていると、友だちが心配して温かく見守ってくれる。
そんな友だちがいることも、大きな幸せなんです。
ただ、それに本当に気づけるのは、自分が幸せを少しなくしてしまったときなんです。
家族の暖かさに、その人が死んだときに気づくとか、絶対いやです。
小マユは手後れにならないうちに幸せをちゃんと見つけられるようにならなくちゃ、と思いました。
今日、母上が詩人さんのポストカードを買ってきてくれました。
『優しくすること
人に優しくできない時ほど、
人から優しくされている時なんだよ。
支え合うことを忘れないでね。』
という詩が書かれています。
そうなんですょね。
小マユは最近、あることでひどく悩んでいて、勉強も手につかない、部活もやる気が出ない、ご飯も食べられない…と相当追い詰められていました。
ハンカチとは親友でしたし、枕が乾いている時間がほとんどなかったです。
学校に行っても授業に出たくない、人と会うのがすごく面倒臭い。
だから早退してきてしまって、家に帰ってもすることなくて結局落ち込む。
そんな悪循環で混沌・カオスでダークサイドな感じの毎日を送ってた小マユを支えてくれたのは、家族や友だちでした。
幸せが手に入らなくて、絶対に失いたくないものを失ってしまって、本当につらかった。
それが以前は当たり前のように手の中にあったものだから、余計につらかったんです。
その幸せをつかめなくて、どうして自分はこんなに不幸せなんだろうと思いました。
死んでしまいたいと思いました。
考えても考えても答えが出ない。
考えるのもつらい。
眠るのも起きるのも怖い。
何をしていてもそのことが頭から離れない。
ほとんどノイローゼでした。
そこまでひどくないのかもしれませんが、小マユのように普段非常に気楽に気分屋で生きている人間としては、かなり極限に近い状態でした。
体重がどんどん減って、家族は心配してくれました。
好きなものを好きなだけ食べなさい、と言ってくれました。
どんなに大声で泣いても、理由を聞こうとせずに背中をさすってくれました。
それは友だちも同じです。
泣いていれば慰めてくれる、そばに居てくれる、手を握ってくれる。
ご飯食べなきゃだめだよ、と優しく叱ってくれる。
つらさのあまり自分に甘えてしまっていた小マユには、とてもいい薬でした。
そのときはそんな周りのみんなの暖かさに気づく余裕はなく、自分はなんて不幸せなんだろう、とそればっかり考えていました。
でも今余裕を持って考えてみると、一つの幸せを見失ったことで、ずっと見過ごしてきていた大きな幸せが見えた気がします。
本当はずっと持っていて、でもはっきり見えなかったもの。
すぐそばにある幸せは、本当に見えにくいものだと思い知りました。
自分が必死で手に入れた幸せ以外の幸せ。
それに気づけるチャンスをもらえて、小マユは本当に幸せだと思いました。
これからもつらいことがたくさんあると思うけれど、ちょっとのあいだは甘えさせてもらって、いつか小マユを頼ってくれるときがきたら、精一杯の愛を注ぎたいと思いました。
小マユの気持ちをよく理解してくれる母上。
小マユのわがままを優しくきいてくれる父上。
小マユの泣ける場所を作ってくれる友人K。
小マユのことを自分のことのように心配してくれる友人E。
小マユに立ち直るキッカケを与えてくれる友人Y。
いつも何も言わずにそばにいてくれる友人A。
とにかく小マユをよくわかってくれる友人S。
それから、小マユが見逃していた幸せを思い出させてくれた2号氏。
まだまだお礼を言いたい人はたくさんいます。
でもまゆげが相当長くなっているので、以下は略とさせていただきます。
こんな皆様のおかげで、小マユは存在しています。
ありがとう。
直接そばにいなくても、遠いところから小マユを心配してくれている人もたくさんいます。
そんな皆様にも、ありがとう。
それから、生きる源、まゆげ日記にありがとう。
たくさんのありがとうを覚えた今日この頃でした。
長くなってしまってごめんなさい。
いろいろ気持ちの詰まったまゆげでした☆
それでは、おやすもん。
職業は散らかすことの小マユでした。
気楽な小マユです。
最近自分がいろいろ背負い過ぎてる気がしたので、一回全部ほうり出してみました。
楽です、すごく。
これなら今まで背負い込んでたもん、全部少しずつ溶かしていけそうです。
こんな自分ともう一度会えたのは、友だちと家族のおかげです。
いろいろな本のことばに励まされ、家族の応援に励まされ、友だちの暖かさに励まされました。
でなきゃここに小マユはいません。
幸せってのは自分がそれをなくさないと見えてこない。
自分が幸せ持っているときに街を歩いていても、大して幸せなんて感じないものです。
それを失ったときに街を歩いてみると、みんな多少の幸せは持っているわけです。
それを見てると、自分もついこないだまで持ってたよな…としみじみ思います。
どこに落としてきたんだろ、とか。
でも実際は持ってるんですよねーたぶん。
自分がつらそうにしていると、友だちが心配して温かく見守ってくれる。
そんな友だちがいることも、大きな幸せなんです。
ただ、それに本当に気づけるのは、自分が幸せを少しなくしてしまったときなんです。
家族の暖かさに、その人が死んだときに気づくとか、絶対いやです。
小マユは手後れにならないうちに幸せをちゃんと見つけられるようにならなくちゃ、と思いました。
今日、母上が詩人さんのポストカードを買ってきてくれました。
『優しくすること
人に優しくできない時ほど、
人から優しくされている時なんだよ。
支え合うことを忘れないでね。』
という詩が書かれています。
そうなんですょね。
小マユは最近、あることでひどく悩んでいて、勉強も手につかない、部活もやる気が出ない、ご飯も食べられない…と相当追い詰められていました。
ハンカチとは親友でしたし、枕が乾いている時間がほとんどなかったです。
学校に行っても授業に出たくない、人と会うのがすごく面倒臭い。
だから早退してきてしまって、家に帰ってもすることなくて結局落ち込む。
そんな悪循環で混沌・カオスでダークサイドな感じの毎日を送ってた小マユを支えてくれたのは、家族や友だちでした。
幸せが手に入らなくて、絶対に失いたくないものを失ってしまって、本当につらかった。
それが以前は当たり前のように手の中にあったものだから、余計につらかったんです。
その幸せをつかめなくて、どうして自分はこんなに不幸せなんだろうと思いました。
死んでしまいたいと思いました。
考えても考えても答えが出ない。
考えるのもつらい。
眠るのも起きるのも怖い。
何をしていてもそのことが頭から離れない。
ほとんどノイローゼでした。
そこまでひどくないのかもしれませんが、小マユのように普段非常に気楽に気分屋で生きている人間としては、かなり極限に近い状態でした。
体重がどんどん減って、家族は心配してくれました。
好きなものを好きなだけ食べなさい、と言ってくれました。
どんなに大声で泣いても、理由を聞こうとせずに背中をさすってくれました。
それは友だちも同じです。
泣いていれば慰めてくれる、そばに居てくれる、手を握ってくれる。
ご飯食べなきゃだめだよ、と優しく叱ってくれる。
つらさのあまり自分に甘えてしまっていた小マユには、とてもいい薬でした。
そのときはそんな周りのみんなの暖かさに気づく余裕はなく、自分はなんて不幸せなんだろう、とそればっかり考えていました。
でも今余裕を持って考えてみると、一つの幸せを見失ったことで、ずっと見過ごしてきていた大きな幸せが見えた気がします。
本当はずっと持っていて、でもはっきり見えなかったもの。
すぐそばにある幸せは、本当に見えにくいものだと思い知りました。
自分が必死で手に入れた幸せ以外の幸せ。
それに気づけるチャンスをもらえて、小マユは本当に幸せだと思いました。
これからもつらいことがたくさんあると思うけれど、ちょっとのあいだは甘えさせてもらって、いつか小マユを頼ってくれるときがきたら、精一杯の愛を注ぎたいと思いました。
小マユの気持ちをよく理解してくれる母上。
小マユのわがままを優しくきいてくれる父上。
小マユの泣ける場所を作ってくれる友人K。
小マユのことを自分のことのように心配してくれる友人E。
小マユに立ち直るキッカケを与えてくれる友人Y。
いつも何も言わずにそばにいてくれる友人A。
とにかく小マユをよくわかってくれる友人S。
それから、小マユが見逃していた幸せを思い出させてくれた2号氏。
まだまだお礼を言いたい人はたくさんいます。
でもまゆげが相当長くなっているので、以下は略とさせていただきます。
こんな皆様のおかげで、小マユは存在しています。
ありがとう。
直接そばにいなくても、遠いところから小マユを心配してくれている人もたくさんいます。
そんな皆様にも、ありがとう。
それから、生きる源、まゆげ日記にありがとう。
たくさんのありがとうを覚えた今日この頃でした。
長くなってしまってごめんなさい。
いろいろ気持ちの詰まったまゆげでした☆
それでは、おやすもん。
職業は散らかすことの小マユでした。
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