15歳。

2005年6月23日コメント (1)
こんばんは。
お風呂でからだを洗おうとして、シャンプーをたっぷり出してしまった小マユです。
ショックでした。
いや、夢中で歌っていたのでしかたがないのですが…
っていうか歌に陶酔していたので、いちいちシャンプーかボディソープかなんて意識していられませんでしたから…
そして当然の流れとしてシャンプーをとり…
ちょっと落ち込みながらシャンプーを流し、しっかり確認のうえでボディソープをつけ、からだを洗いました。
ふぅ。
みなさん、手元の不注意に御注意ください。
なんか日本語変ですね(´・ω・`)

最近15歳がいろいろ頑張っちゃってるらしいです。
今日、母がニュースを見ながらしみじみ申しておりました。
確かにここのところ15歳からちょこっと上あたりの年齢の人々が、ニュース沙汰になるような事件を起こしちゃってたりするわけです。
小マユたちの世代以前の15歳がはたしていかなるものであったのか知りませんから、なにかと比較できませんけども…
15歳というのは、本当に不安定な時期だと思うのです。
前はどうでもよかったようなことが、15歳あたりになるとものすごい大問題に感じられたりするのです。
ちょこっとしたことでイライラしたり、哀しくなったり。
小マユは小さい頃から、どんなに嫌なことがあっても死にたいとは思ったことがありませんでした。
だけども今年15歳を迎え、生まれて初めて死にたいと思ったのです。
原因は、ちょっとした恋のいさかいからきた精神的ダメージと、ご飯が食べられないという障害でした。
摂食障害とまではいかないのですが、ご飯をたくさんの量食べられない。
体重が減って、友だちには痩せたといわれ、学校にいても人と話すのが疲れる。
必然的に独りで過ごすことが多くなり、毎日学校がつまらなく感じられてくる。
そんな感じで、早退したり、遅刻したり、部活を休んだり…
15歳でなければ、もしかしたらここまでひどい状況に陥ったりしなかったのかもしれません。
死にたい死にたいと考えてしまったりする。
頭では死んだりしてはいけない、学校に行かなくちゃいけない、ご飯を食べなきゃいけないってわかってるんです。
でも、体がいうことをきいてくれない。
ずっと彼のことを考えてる、死ぬことを考えてる。
死にたいというよりは、生きていたくないんです。
できれば消えてなくなりたい、でもそんなん無理やから死にたい。
そんなエンドレスな考えがぐるぐると回って、悪循環。
周りのみんなは励ましてくれる。
食べなきゃだめって怒る人や、食べられるだけ食べなさいといってくれる人やらいる。
本当にありがたいけど、でも自分に精一杯だから人の思いやりに感謝する余裕がない…
今よーく考えてみると、なんで立ち直れたのかわかりません。
たぶん、周りの先生や友だち、家族が小マユを”無理をさせないように”見守ってくれたからだと思います。
立ち直ったきっかけは思い出せないし、もしかしたらまだ立ち直れてないのかもしれない。
現に今、小マユは原因の彼を忘れられています、と胸を張っては言えません。
きっとまだ悩んでいます。
でも、以前よりは悩みをコントロールできるようになりました。
自分の幸せを優先させながら悩めるところまで、戻ってこられました。
小マユのように、お気楽でのんきで気分屋なヤツにも”15歳”というのはひどく重くのしかかるわけです。
15歳のみんながみんな、死にたいと思ったり人を殺めようとしたりするわけではないことを、大人のみなさんに理解してもらいたいです。
小マユは死にたいと思いましたが、みんなの力を借りて自分をなんとか奮い立たせ、生きています。
ほとんどの15歳は、小マユのようになんとか乗り越えているのです。
そう信じたいのです。
ただ、差し伸べてもらえる手をみつけられない人や、自分がつらいということを意思表示する方法・相手をみつけられない人は、小マユ以上に追い詰められて、一歩踏み出してしまい、犯罪を犯してしまったりするのではないでしょうか。
ニュースでよく殺人や自殺をした生徒のことを”真面目で勤勉”などと言うのを聞きます。
いつもこれを聞いて小マユは、『ああ、この人たちは手を探せなかったのかなぁ、誰かに助けを求められなかったのかなぁ』と思います。
一部で『つらいならつらいって言えばいいじゃん』と思う方もおられるかもしれません。
確かに、簡単に言ってしまえばそれが正論であり、それでおしまいなのです。
助けて、と言えばいい。
でもそれをわかっていても、どうしても助けてと言えない人がいるんです。
つらいならつらいと言えばいいという意見を持つ人は、つらいときにつらいと言える人なんだと思います。
助けてを言える人なんです。
だからこそ、助けてと言えない人の気持ちを理解しにくい。
でもたぶん、確かにそれを言えない人がいるんです。
だからそんな犯罪が起こるんです、きっと。
真面目な人や勤勉な人ばかりが、助けてを言えない人だとは思いません。
ただ、小マユのように不真面目で非勤勉な人間の意見として考えると、小マユはごく簡単に助けてを言えた気がします。
もちろん助けてを言えるかどうかは、その人の勇気だけではありません。
その人の周りに、その人の助けてを見逃さずにすくいあげられる人が一人でもいるかどうかというのも、とても重要なポイントだと思います。
小マユはたまたま周りの大人に助けてを言えたし、友だちにも助けてを言えた。
それが言えない人もいることを、小マユは理解したいです。
そしてまた、今の世代の15歳が非行に走ってしまうのを責める大人の方もいらっしゃるかもしれません。
でもそれは、不安定な15歳という時期に、子どもがみる社会になにがあるかということに関係しているんではないでしょうか。
小マユは今の大人の方々が15歳のとき、社会に何が置かれていたか知りません。
でもきっと、犯罪とは違う何がが置かれていたんだと思います。
よくわかりませんが、そこに置かれていたのはヤンキーとか暴走族とかかもしれません。
そして、今の15歳が不安定な時期を迎えたとき、たまたま社会に”犯罪”があったんだと思います。
自殺や殺人があったんだと思います。
小マユはあくまで15歳なので、この立場から話してしまっていますから、大人の言い分を完全に言い表せるわけではありません。
でも、『今の若い世代は人殺しやらなんやら、生死を軽くみてる』とおっしゃる大人がいらしたら、小マユは言いたい。
『現代の15歳が不安定な時期に、社会に死を軽く転がしてしまっている大人がいるかもしれないと、考えたことはありませんか』と。
子どもは大人しか見て育っていません。
映画やTVや、そういうもので影響を受けることもあるかもしれないけれど、何よりもニュースが一番影響をおよぼすと思いませんか?
実際に大人が殺人や自殺をしてる。
子どもがそれをみたら、それはただただ責められるべき行為ではないのかもしれない、と死を重んじずに考えるようになってしまうかもしれない。
もちろん、犯罪を犯してしまう本人がなんとかしようとすれば、防げるのかもしれません。
悪いのは子どもかもしれません。
でも、すべて子どもが悪いという前に、もしかしたら自分にも悪い点がないだろうかと、少しだけ考え直してみてほしいです。
現にそう思ってしまう15歳が、ここにいるのですから。
そしてこの15歳は、自分の意見が必ずしも正しくないこと、人の見方によって結論は変わること、正しいひとつの答えなんかはありはしないことは、わかっているつもりなのですから。
このまゆげを読んでくださる方々のなかには、理解が深い方々しかいないような気もしますが…

コメント

nophoto
京都の紀香になりたい大人より
2007年5月31日18:52

私の娘も15歳・・今とても、不安定で見ていてつらいです・・でも小マユさんの日記を読んで判りました・・親の私に出来ること・・見守ってあげること、自分で考えて自分で答えを見つけるまで 美味しいご飯とお弁当を作ってあげることだと・・・大人になる事は、非常に難しく、そして誰でも通る道・・自分の15歳・・親のための15歳じゃないと・・・
恋愛で苦しんでると思うんだけど、それだけじゃなく学校や友達とのいろいろに毎日、面白くないと心で泣いてるのが私にはわかる・・で、何か助けたくても 言葉では娘の心に重くのしかかるだけ・・・黙って見守っていこうと思いました・・助けを求めてきたら何が何でも 力になってあげようと・・・
あなたの日記を読んで勉強になりました・・ありがとう
いつか、素敵な恋をして幸せになってね・・♪

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